お侍様 小劇場 extra

     “寵猫抄”
 


          



 どれほどの刻が過ぎたものか。山野辺の裾にうずくまる小さな里は、周囲を取り巻く天然自然の懐にい抱かれて、ただただ静かに更けゆくばかりで。家人が寝静まった屋敷の内もまた、穏やかな静寂の中へと肌触りのいい夜陰がひたひたと満ちており。秋も半ばを過ぎた頃合いの夜半だ、夜具の外は少しずつ気温も下がっているのだろうけれど。同じ夜具の中にあっても気にならぬまま、とうに寝入って無心に寝息を刻んでいるばかりな。そんな添い寝の供らの気配が、互いに優しく絡まり合っては、暖かな安らぎ、寝間の空気へ馴染ませてもいるようで。そんな懐っこい無音が、どのくらいの刻を たゆとうたものか。


   ― ふと。


  「…。」

 ほんの微かな音がした。誰かの寝息の調子が、わずかばかり変わったそれよりも小さな小さな。夜具をくるんだカバーの中で、一番小さな存在がその口許をうにむにと動かしたような、そんなかすかな響きがそよいで。それから、ぱさぱさと布を擦るかすかな物音が続いて。さらさらとした金絲の流れる肩口の端、供寝の相手の懐ろへ掻い込まれていたところの境目辺り、ふわふかな掛け布がふわりとわずかに持ち上がり。真の暗闇じゃあなく、例えば外の月光が洩れ入っての明るさか、調度の縁や何やが輪郭だけ浮いて見える、そんな光をほわりと吸った、小さな綿毛頭がそこから少しだけ覗いて見えて。

 「……。」

 暗い部屋、青みを帯びた夜陰の陰りと、かすかな光の訪のいの白だけが寒々と佇む、沈黙の空間。それらを見回したいか、小さな存在はもはやむくりと身を起こしていて。風呂も嫌がっての昼からまとったままな、白っぽい簡素ないで立ちの和子が、重たげな瞼をうっすらと持ち上げる。

 「…。」

 こうまで間近に抱え込んだ存在が、こうまで大きく身じろいだなら、常の彼らならどんなに熟睡していたとても、何かあったかと気づいただろに。どうしたものか、勘兵衛も七郎次も穏やかな寝息を僅かほどにも乱さぬままであり。そんな二人を傍らに見回すと、

 「……。」

 自分を左右から挟んでの、お守りをするようにして眠っていた二人の、どうしてだろうかその手の甲をじっとまじまじ見やり。それから、勘兵衛の方を見、そのおとがいの縁の陰、深くくびれた首元を、やはりじいと覗いてから。

 「〜。」

 その身を支えていた小さな肩がふしゅんと萎える。何と安らげる空気だろうか。決して怠惰なそれではなくの、ただただ健やかで生気に満ちた空間だと肌で判る。信頼と敬愛と親わしさと。暖かな絆が齎し育んだ安寧の空間は、限りなく優しい安穏に満ちていて。ああきっと、この二人が子を成したなら、この褥
(しとね)で守り育んでもらえるのだなと、他人ごとながらも胸底がほこほこと温もってしまったほど。

  ………と。

 不意に、すんすんと周囲の気配を嗅いでいた和子、部屋の一角、最も闇の濃く溜まった角を見据えると、心持ちお顔を伏せての睨み据えるような構えとなって。


  《 ………。》


 まだまだ丸みのほうが強い、それは愛らしい面差しをした和子であったものが、視線がどんどんと強くなってゆくにつれ、どうしたものか…その肢体がぐんぐんと伸び始めた。肩幅が伸び、腕が脚がしなやかなままに長さを増し、上背がこちらは縦へと伸びて。面差しもまた、ただただ幼い、あどけない趣きが強かった甘さが薄れての、伸びやかな少年のそれへと移り、それではとどまらずのもっと先。玲瓏端正、少々冷ややかなくらいに整うた、七郎次とさして変わらぬほどの青年へまで。早回しの映像を見るかのようななめらかな変化で育った和子は、その身へ真珠色の光をまとってもいて。成長が進むほどに濃くなるその光が、とうとう彼の輪郭を追い越すほどにも増しての強まったところで、

  ――― ぱ…ん、と。

 薄い玻璃の膜板が砕けたような、儚くも鮮やかな弾けよう。その中から現れたは、絽のようにほのかに透き通る、だが、絹のつややかななめらかさをおびた、五色七彩、不思議な衣紋を幾重にも重ね着た、すっかりと風体の変わってしまった存在であり。

 《 来やったか。陰の蟲妖。》

 その口許から、初めての文言が紡がれる。不安定なはずの寝台の上、すっくと立つとそのままヒラリと飛び降りて。一番上へとまとった、膝下までという裾長で濃色の、袖がないところが半臂
(はんび)のような衣紋だけは、防御能力もある厚手の衣であるらしかったが、それ以外はまるで舞いの衣裳のような優美で華やかなそれであり。そんないでたちのまま、手首どころか甲までも覆う長い袖をひらめかせ、片腕だけで宙へと大きく弧を描いて見せれば、その軌跡を追っての光が舞い、いつまでも消えぬままの輪は、ゆらりと浮いて、何もないはずの空で不意に音もなく弾けた。そして、

 《 何奴。》

 沼の底を掻き回すような、泥を泡立てるような不快な声が立ったけれど。それも見込みのうちであったものだろか。眉ひとつ動かさぬままの青年が、眠たげにも見えかねぬほど重たげに半分伏せていた眼を…かっと見開いたその途端、疾風が翔って室内の空気が大きく弾み、どよもした。だんっと鈍重い音がして、正面の壁に何かがめり込む。この突風に飛ばされてのことか、続いて がはっ、けほがは などという、耳障りな呻きが続き、

 《 貴様、我が見えるのか?》

 意外なことだという狼狽を滲ませた声がしたが、それでも寝台に休む二人は寝息さえ乱さぬままであり。唯一 覚醒している存在の、

 《 見える。》

 端的に返した青年の手には、いつの間にか長い刃をすらりと剥かれた大太刀が握られていて、

 《 姿だけじゃあない。先も、な。》
 《 …笑止。》

 闇より深い昏さを重ね、多重階層の住人、虚無海の蟲妖が、清涼な夜陰の片隅、夜気を蝕み淀ませながら、その身をかたちどるその前に、


  ――― 破戒妖異印、封魔浄穢、吽々々………っっ


 胸の前へと水平に渡した、銀刃鋭い細身の太刀を。もう片やの手の、指を反らせてふわりと背の峰、辿り上げ。その所作が何を刃に与えてのことか、ぬらぬらと輝く刀の切っ先が自ら躍光し、さながら刃幅を鋭いまま膨らませてゆくかの如く。

 《 な…っ。》
 《 我は 漆黒の申し子。ヤミの使徒なり。》

 柔らかな衣紋の袖が裳裾が、刃から放たれる生気の余剰が生み出す強い気脈にあおられて、ひらひらはらはら優美にたなびく。綿毛のような金の髪も、ゆらゆらと煽られて躍り上がり、唯一凍ったように動かぬ表情が張りついた青年の顔だけが、却って作り物のように見えるほど。

 《 く…っ。》

 ほっそりとした、まだまだ瑞々しいまでのうら若い青年の、だのに、その存在感が醸す、これほどの威容に既に圧倒されつつも。だからといって大人しく封滅浄化されては元も子もないか、まだ有耶無耶な存在のうち、深い闇の中から、ぶんと振り出されたは、青年の背丈ほどもあろう弧を描く刃を爪に生やした、蜘蛛の脚が幾本も。乱雑不規則にじゃきりと咬み合い、それで感覚を慣らしてのこと、切っ先揃えて宙の高みへずらり居並び、そこから真っ逆さまに しとど降り落ちて来たけれど。

  ――― 斬る音としては 削
(さく)、と。

 素早く宙に溶けた痩躯が、再び現れたその刹那にはもう、人の大きさもあろうかという凶爪の柱が次々に、切り離されての床へと突き立っては、その片っ端から宙へと消えゆく、途轍もない手腕を披露しておいr。それらの末を見届ける間もなくのこと、

 《 覚悟。》

 端とした声が言い放ち、銀翅開いて闇を翔け、そのまま虚空にわだかまる漆黒を、鋭い太刀筋が容赦なく切り裂いている。異世界への淵のような闇へと、自ら飛び込んていった青年が、だが、


  ぎぃやぁあぁぁぁ……っっ!!!!


 凄まじい断末魔の叫びと共に、闇を掻き消して打ち払い、その姿を再び現して……。あとは何事もなかったかのように、しんと静かな室内には最初の穏やかな夜陰のみがやわらかに満ちて、すっかりと元のまま。ただ、

 《 ……。》

 今や金髪白面の青年へとまで育ってしまった不思議な和子だけは、剥き身の刃をその手へ提げての立ったまま、元の小さな和子には戻らぬらしく。背後の寝台をつと、肩越しに見やったものの、そこに眠る二人の寝顔に変わりがないこと、ようよう確かめると、そのまま眸を伏せ…姿を消した。






 瞬きの間の後は、屋敷の表へ出ていた彼であり。そこには、彼と同じようないで立ちの、真っ黒ですべらかな髪を腰まで伸ばした若い男が立っており。こちらの青年と変わらぬほどに、細身の体躯ではあったけれど、彼より微妙に頑健そうな勇ましさや威勢を放つ身なのが多少は違い、

 《 こんな何もない土地に現れようとはな。》

 先程、こちらの青年が対峙した存在を指して、やれやれという口調でそうと評した。諍いも戦乱もなく、ただただ穏やかなばかりの土地。だが、地続きのどこかでは、途轍もない陰謀や、それによってではなくとも、地獄のような戦場が現実のものとして存在し、非力なまんま苦衷にあえぐ人々もいて。そういうところで発した怨嗟が生み出した、魑魅魍魎の一種ででもあったらしく。

 《 人へと憑いて育たれては、確かに始末に終えぬ。》

 ようも未然に気がついたと、大事に至らなかった首尾を褒めてやりつつも、そのくせ どこかで道理がおかしいなとも思うた相方であるらしく。まるでここへと現れることを見透かしてでもいたかのように。そして、そやつがあの二人のどちらかを寄り代にででも狙っていたことをまで事前に知っていたかのように。ああまですぐの傍らについていることで、水をも洩らさぬ防御を構え、彼らを護っていたこちらの若者であり。

 《 あの二人は…お主の縁者か何かなのか?》
 《 知らぬ。》
 《 …おい。》

 本当に知らぬのだと、伏し目がちにした紅の視線ごと、ゆるゆるとかぶりを振る彼で。

 《 ただ、いつの生でも何かしらの縁や機の巡りで行き会わせる。》

 そして…と、声のない声で呟いてから、

 《 俺を庇ってのこと、どちらかがその命を生の半ばにして失ってしまう。》
 《 それは…。》

 我らもまた闇の眷属であり、但し使命をおびて世にある身。人の世を徒にかき乱すあのような蟲妖・邪妖との対峙は、言わば 存在するための理由のようなことだのに。どのような奇縁あってのことかは知らぬが、大きな戦さとなると必ず傍らに彼らがいる。こちらが身をやつしている人の子の仲間として、戦の中核が居座る本陣へまで、すなわち正念場へまでなだれ込む陣営に必ず同座し、人ならぬものもかくやという、目を見張るほどもの働きを見せたその末に。戦さを操り、怨嗟や呪いで腹満たす、それは大きな邪妖の負力。相手の幹部や頭目のいずれかへと見極めて、封印滅殺せんと挑んだこの身を狙う、卑怯な凶刃が必ずあるのから、やはり必ずその身を盾にし、庇いおおせるのが彼らのどちらかであり。

 《 今世では間に合うた……。》

 そんな借りをいつまでも返せぬままでは気が済まぬでな、と。恐らくはそうと言いたいのだろう、されど冷ややかな表情を映すばかりの白い横顔。そこまで読める自分には、彼が…なぜどうして、転生後のあの二人を次の世代でも見極められるのかを、自分でも不思議に思っているところまでが手に取れて。

 《 今は…いやさ、これまでの出会いは、まだ本当の機縁ではないのかも知れぬ。》
 《 ?》
 《 何かもっと重大な、出会うべくして出会う機会があるのだよ。お主らには。》


   ――― だがまだ、今は。その機が満ちてはいないから。


 《 相手の存在感に惹かれはするが、今はまだ すぐにもほどける。》
 《 ……。》

 言ってるこっちにも何かしら確証があっての言いようじゃあない。されど、生のスパンがあまりに違う身。それでも、何度も巡り会う間柄だというのなら、何かしらの意味を感じてしまうというものじゃあないかと。

 《 ……。》

 そこまでの深意が彼の側にも通じているのかどうか。思索に沈んでいるかのような沈黙をたたえ、空におわす皓月にもにた冴えを滲ませたまま、ほんの微かに屋敷へ向けたのも一瞬のこと。

 《 …済んだ。行くぞ。》
 《 ああ。》

 毅然と顔を上げ、傍らの野辺へと踵を返した朋輩に、連れも続いて歩みを進める。月光に透けるは衣紋のみにあらず。彼らの身もまた夜陰に溶け込み、草間へと分け入るほどにその姿が徐々に薄れて霞んでいって。やがてはふわり、風に躍ったススキの穂影のように、あっと言う間にも闇の中へと姿を消したのであった。






  〜Fine〜  08.10.26.〜11.01.

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  *侍七は未来の世界の話だそうなので、
   このお話では、まだあのような形では出会ってない彼らだということで。
   それと、久蔵さんのあの最期が、
   最初から決まってた運命や宿命だったとか
   そういうことを言いたいんじゃありませんので、念のため。
   これはあくまでもの二重パロ。
   得手でないはずなのに、すぐにファンタジー風へ持ってく悪い癖が
   こちらでもとうとう出てしまいました。

  *こういうお話のお約束、
   目覚めた翌朝、勘兵衛様もシチさんも、
   不思議な子供のことはすっかりと忘れていて、
   でも、食器を3人分並べかかったり、
   何でだか懐ろが寂しい気がしたりしているといいです。
   それと、妙に相手が愛しいこと、
   しみじみ再確認した名残りからより一層に魅力的に見えてたら、
   なかなか粋な置き土産になったキュウさんでvv

   もひとつ進んで、いつかどこかの街角で、
   剣道の防具の袋をかついだ、どっかで見たよな高校生の青年へ、
   ついつい呼び止めて勝手に懐かしがった挙句に、

   「…おや、久蔵殿。そのネコ缶の山はどうされました?」
   「〜〜〜。(困惑〜)」
   「いけませんね、知らない人から買ってもらっちゃあいけないでしょうが。」
   「〜、〜、〜。(否、否、否)」
   「要るんなら言って下されば、ちゃあんと買って差し上げますのに。」
   「シチさん、そういう次元の問題じゃあないでしょが。」

   あああ、キリがない。
(笑)

   *と言いつつ、もしものお話を チラッとなvv →


めるふぉvv
めるふぉ 置きましたvv

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